「医療過誤原告の会」は1991年10月発足以来20年が経過しました。
12月3日(土)「医療過誤20年、医療・司法は変わったか?」と題して、20年の闘いの歴史を振り返り、今後の展望を見いだすべく、医療・司法・被害者として特段に尽力しておられるシンポジストの方々を迎えて、下記の通り「記念シンポウム」を開催いたしました。 会場には約120名の方に参加いただき、最初に6名の講演にお話しいただきました。まず、鈴木利廣弁護士が「この20年の医療事故対策という政策の進展」と題して、医療事故原因調査制度、医療基本法等の制定への各界の動向と民主党政権下で政策化の進展が止まっている現状をお話され、公的制度整備の推進を訴えました。石川寛俊弁護士から、「この20年の民事・刑事・行政処分の変化」について、特にこの数年、医療被害者に大変厳しい状況で、東京・大阪地裁での勝訴率は10%未満と指摘、それでもやむにやまれず提訴している被害者の思いを、司法は受け止める必要があると話されました。近藤孝医師は1969年千葉大採決ミス事件以降の医療ミス問題から説き起こし、医師として医療界の逆風に厳しさに抗して被害者支援を続けてきた、医療の信頼への責任の思いを語っていただきました。森功医療事故調査会代表は、医療事故調査会15年間の鑑定結果から垣間見る日本の医師の現状について、同僚審査の欠如・科学者の側面も放棄、と厳しく指摘しました。また、地域医療監査機構の提案がされ、大阪での新たな試みが注目されます。勝村久司さんは被害者して、診療情報の公開・開示が医療の安全性をはかる原点だとして、とりくんできた20年の活動を紹介、カルテ開示の実現や中医協委員として診療明細書発行制度作りの前進を報告しました。永井裕之さんは「報告文化、正直文化、そして安全文化は」と題して、年間医療事故死が2万ー4万人と云われている現状の対策が、国として全く遅れ、特に医師の自律性の遅れを指摘、事故調の早期設立を訴えました。 引き続いてシンポジウムでは、金沢大学の打出喜義医師が、医療事故のマスコミ報道とBPOの問題点を報告、会場からの質問に沿って、医療事故調査制度設置へ向けた討論が深められました。 当日の講演・シンポジウムの内容の詳細は、医療過誤原告の会々報34号(3月頃発行予定)に掲載します。
又、会場では、「医療過誤原告の会20周年記念誌」(20年のあゆみを振り返り、31名の方々から寄せられた激励と闘いの寄稿文を掲載)が配布されました。 ご希望の方は、原告の会事務局(090-6016-8423)へ連絡下さい。(一部1000円です)
<記> 創立20周年記念シンポジウム
- 日時: 2011年12月3日(土)13:30~16:30
- 会場: 東京 星陵会館ホール 千代田区永田町1-16-2
- 交通: 地下鉄永田町駅下車6番出口 徒歩3分
- 参加費: 無料
- 内容 1: 講演弁士
・石川 寛俊 (弁護士)
・鈴木 利廣 (弁護士)
・近藤 孝 (紀和病院長)
・森 功 (医療事故調査会代表)
・勝村 久司(医療情報の公開・開示を求める市民の)
・永井 裕之(患者の視点で医療安全を考える連絡協議会代表)
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内容 2 シンポジウム 「医療過誤20年、医療・司法は変わったか?」
シンポジスト
・石川 寛俊 (同上) ・鈴木 利廣 (同上)
・近藤 孝 (同上) ・森 功 (同上)
・打出 喜義(医師・金沢大学医学部産婦人科)
・勝村 久司 (同上) ・永井裕之 (同上)
コーディネータ
・宮脇 正和 (医療原告の会・会長)
・高橋 純 (医療原告の会・副会長)
主催: 医療過誤原告の会
共催: 患者の視点で医療安全を考える連絡協議会
IMG_NEW (シンポjジウムちらし案内・PDF版)
ないのでしょうか。