本の紹介:「ネットで暴走する医師たち」 鳥集 徹

ISBN-9784872903836 内容紹介
 医師が匿名で発言する医師ブログ、医療系サイト。 そこには、患者には決して言わない不満、グチ、医療政策への批判がうずまいている。
  誰も触れなかった「医療のモラル破壊」を周到な取材で描く、傑作ノンフィクション!

  ウィキペディア編集合戦、カルテ流出、2ちゃんねるで晒し者…相次ぐ病院事故!そのとき「医師専用サイト」で何が語られていたのか?『医療崩壊』著者・小松秀樹氏による取材回答文3000字掲載。医療を崩壊させたのは、医療事故被害者なのか?物言う患者は、「医療テロリスト」なのか?なぜ、医師と患者は対立してしまうのか?圧倒的な取材量で医療界の闇にせまる。

目次
第1章 カルテを流出させたのはだれか?奈良県立大淀病院事件
(侮辱罪で捜査された医師しゃべり続ける“鬼瓦” ほか)
第2章 追い詰められる遺族?杏林大学割り箸事件
(『医療の限界』と割り箸事件コピペされる事実無根の情報 ほか)
第3章 真実を求める遺族は「モンスター」か?福島県立大野病院事件
(「2ちゃんで叩きまくる」m3から始まった抗議運動 ほか)
第4章 「テロリスト」と呼ばれた被害者
(医師を侮辱する発言「医療崩壊」プロバガンダ ほか)
第5章 ネット医師たちはなぜ暴走するのか
(全国医師連盟とネット医師「自称被害者」というレッテル ほか)

著者の鳥集氏のコメントをご紹介させて頂きます。

大淀病院事件、杏林大割り箸事件、大野病院事件などの遺族に対して、一部の医師たちがネット上に誹謗中傷や事実無根のデマを垂れ流し、それを多くの医師が鵜呑みにした事実がありました。

彼ら「ノイジー・マイノリティー(騒々しい少数派)」が形成した歪んだネット公論に、医療事故や医療崩壊をめぐる医師全体の言説が、引きずられてしまったと考えています。

大野病院事件以降、患者と医師との間に、深刻な溝が生まれてしまいましたが、今こそ、両者が真摯に向き合い、新たな信頼関係を構築すべきときにきていると思います。

そのためにも、歪んだネット言説のウソを暴き、医療事故被害者に対する偏見を取り払わねばなりません。

ぜひ、多くの方々に手にとっていただきたいと思っています。

http://www.wave-publishers.co.jp/np/isbn/9784872903836/

下記サイト等より購入可能です。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/product-description/4872903838/

http://www.7andy.jp/books/detail/?isbn=9784872903836

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-ISBN=9784872903836

本の紹介:「ネットで暴走する医師たち」 鳥集 徹” への24件のフィードバック

  1. この本買って読みました。
    会員以外閲覧できない医師の書き込みを、ご遺族が被疑者不詳で侮辱罪で告訴した事件の顛末が載ってます。
    (本では「警察が捜査した」ですが、当時のニュースではご遺族が告訴したとあります。誤り有ればご指摘をお願いします。)
    そこで疑問に思ったのですが、会員制の掲示板でご遺族が直接目にすることのできない書き込みを誰がご遺族に伝えたのでしょうか?
    悲しみの中にいるご遺族の心を思うと、とても書き込みを伝えることはできないと思います。少なくとも私はできません。

  2. DH98さま

    →(本では「警察が捜査した」ですが、当時のニュースではご遺族が告訴したとあります。誤り有ればご指摘をお願いします。)
    悪質なネットの書き込みに対してはご遺族が告訴したことを、当時の新聞に記事に掲載されています。

    →そこで疑問に思ったのですが、会員制の掲示板でご遺族が直接目にすることのできない書き込みを誰がご遺族に伝えたのでしょうか?

    常識と良心をもった医師がm3の書き込みをご遺族らに教えたと聞いています。

    →悲しみの中にいるご遺族の心を思うと、とても書き込みを伝えることはできないと思います。少なくとも私はできません。

    医療従事者の会員専用サイトといえども、ネット上に亡くなられた妊婦さんのカルテの流出や旦那さんを誹謗・中傷する書き込みがエスカレートし、法を犯していると判断したからでしょう。私はご遺族に書き込みを伝えた人が悪いようには考えていません。むしろ、悲しみの中にいるご遺族の心を思うような本当に常識のある医療従事者なら、ネット上に亡くなった妊婦さんのカルテを誰にでも閲覧できるように流出させたり、旦那さんに対しても「妊娠させる資格がない」などと、非人道的な誹謗・中傷の書き込み自体をしない筈ですが。

  3. 率直に言って最悪の本でした。

    著者は、m3.comの医師専用掲示板へ書き込んだ投稿者に対して
    転載の許可を得ることもしないで、
    引用していたりしますが、
    この本の著者によると、
    どうやら倫理的に許容される範囲内での行為さそうです。

    しかも、著者は意図的かどうかまでは知りませんが、m3における「悪意ある書込」のみを抜き出し、それだけでは飽き足らなかったようで、
    著者らが自分たちに都合がいいように加工しているんですよ。

    「医師はこれほど人間的に劣った連中だ」
    「こんなのを許せるか!」と言いたいようでもあるのですが、
    例の掲示板での書き込みはといいますと、
    ご家族が亡くなったことに起因する悲しみという感情と、医師をマスコミや司法当局が一方的に叩く事によって得られる事実の認定はまったくの別問題だということを指摘しただけだということなんです。

    また、大野病院事件に関してですが、あの事件は実質的な無罪が確定しました。

    当事者の1人であるK先生をマスコミがどのようにリンチ的なつるし上げ報道をし、先生の人権をどれほどまでに侵害したかということについて、何も書かれていません。

    こういうこともあって、最悪の本だと書きました。

  4. >どうやら倫理的に許容される範囲内での行為さそうです。
    鳥集を擁護するわけじゃないけど、倫理的にはともかく法律論的には問題ないんだよね。m3は利用規約や著作権がどうとかいってるけど、あれは鳥集には関わらないし、この書き取り方ならば著作権法の要件を満たしているんだよね、一応。

    >著者らが自分たちに都合がいいように加工しているんですよ。
    確かに第一章のm3のレスの書き取りの後にいちいち載せてあるコメントは必死過ぎてイタイと思った。一部無理がある論法のところがあるし。

    >先生の人権をどれほどまでに侵害したかということについて、何も書かれていません。
    批判はいいんだけど、もう少しまともな批判をしなよ。このロジックならば
    「この本は書名を見てわかるようにネットの医師についてかかれたものであり、大野事件(一般)について書いたものではありません。ですからあの事件においてマスメディアがどうであったかについては埒外、別次元の話です。えぇ私個人としましては一部マスコミに疑問の残る報道があったと思いますよ」と言えば終わる話だし。

    >こういうこともあって、最悪の本だと書きました。
    何でここにそんなことを書き込むのかがわからないけど、でもまぁわかるよ。はっきりといって鳥集さんと勝村さんの感覚がお粗末なんだよね。CBニュースだかに批判されてたけど、ああいわれるのは仕方ないと思うよ。最も自己愛の強そうな人たちだからあの手の批判がなぜ出てくるのか深く考えずに受け流すのだろうけど。

  5. 小生、医師批判を半ば生業としているような方々と議論したり
    するつもりはございませんので悪しからず。

    ジャーナリストというのは、常時中立を保ち、冷静な第三者としての視点でモノを書くのが当然。

    しかし、この本の著者は、自分が気に食わない医師を「コミュニケーション能力に欠ける」と規定し、そういう医師がインターネットで過激なことを
    書いているというのが、このどうしようもない本の要旨ですよ。

    著者は、ほとんど医療問題について勉強しておらず、医療提供者サイドの発言や患者サイドの主張、それから裁判における事実認定も、いずれも本意をが置き去りになっています。まず結論ありきなんですね。

    こういう本は、医療問題の改善を目指した建設的な書物ではなくて、
    医療従事者と患者の対立を闇雲に煽っているだけですね、はっきり言って。

    どうやら著者は、ジャーナリストとしての使命から本書を書いたと強く主張していますが、報道の問題点は全部スルーしており、裁判で認定された事実すら無視し、全部マスコミ側の言っていることが正しいという立場を取っていますよ。

    著者がジャーナリストであるというのなら、常時中立を保ち、冷静な第三者としての視点でモノを書くのが当然ではないですか?

  6. それから、so-net m3、このどうしようもない本を出したWAVE出版とかいう
    会社に対して、こういった書物の出版についての不快感の表明、
    m3の利用規約にある掲示板の内容に関する著作権の帰属、転載の禁止、
    これらを基に、違法性を指摘していますよ。

  7. →ジャーナリストというのは、常時中立を保ち、冷静な第三者としての視点でモノを書くのが当然。

    鳥集氏がある面での客観性や冷静さに難があることは本を読めば誰でもわかることで、それが不満ならおかしい所を一つ一つ指摘していけばいい話です。

    たとえば黒川氏の書き込みをもとに「全国医師連盟」を批判しているところは酷いと思いますよ。
    最後の「医師ブログに書かれた」が(公式のリンク集に貼られている様な)多くの医師ブログを指しているのかそれとも「座位の夢想」を主に指しているのかは知らないけれど、前者なら公式に貼られているとはいえそれらは全医連とは直接の関係のないリンク先の話であり、もちろんリンク先でおこった事に特定の団体が責められる理由はないですし、あえて言うなら連盟から要請を受けて書いているブログならわかりますがそうではありません。
    後者ならこれは個人の私生活(前者もそうですが)の中で、しかも連盟が設立される前の時期にあった出来事であって黒川氏をこの事で責めることはできても「全医連」を責める事はできません。最後に「被害者の多くが(中略)連盟に不快感を抱いている」と書いてありますが、こんな暴論を許していたら、出元さんが仮に私生活で問題をおこした時に「陣痛促進剤による被害を考える会」をそれを理由にネット医師が非難しても少しはそれを認めなくてはならなくなります。
    何が何でも「全医連」を公の場で批判したいという気持ちがいきすぎてしまったのでしょうか。友人だと一方でで言われても一方でこれでは結局叩きたいだけなのではないかと穿ってしまいますよね。わかります。

  8. →報道の問題点は全部スルーしており

    だからこの本に対してそういう批判する事は意味がないってここでは言われているんだって。

    →これらを基に、違法性を指摘していますよ。

    利用規約なら提供した医師にはそれを理由に何らかの手段をとることはできるけど、鳥集さんにはそれを使って何かをおこす事はできないんだけど。
    著作権というのは著作権法32条の事だと思うけど、この抜き出し方なら要件に関して満たしているので法に接触しないでしょう。勝てるならすでに訴えているでしょうし。

    →医師を「コミュニケーション能力に欠ける」と規定し

    こういった所に疑問や批判が出てくるのはわかります。
    端的にいえば鳥集さんの論証力とそれに伴う説得力の問題ということなんだろうと思います。今この本はお世辞にも幅広く受け入れられているとは言えないですが、(その理由はいくつかあるでしょうが)恐らくこういう所が原因なのだろうと思います。

    つまり、一般論としてある主張(結論)を唱えるためには論理的裏付けのある論拠か誰の目にも明らかな事項を提示し、それらを正確につなげていって説得力のある主張を示すわけですが、論拠がよく詰められていなかったり間違ってはいなくてもその後の結論には適用できない物だったり、明らかな事項であってもそれを一般化するのは無理な物であったりするということです。
    例えば上記の全医連についても黒川氏の表現がおかしいことは明らかなのだから「最近全医連というのができましたがそこの代表の黒川氏個人に疑問があります」と書けば良かったのに「連盟そのもの」に「つなげて」しまったから生じたミスなのだろうと思います。

    でもまぁこんな事は鳥集徹という人の物書き・ジャーナリストとしての能力はあまり高くはありません、というだけの事であって大した問題ではありません。貴方は多分お医者さんだと思いますが、ならばこの手の言説によって医療をめぐる論議に妙な影響を与えることのほう心配した方がいいと思いますよ。ネットでの中小が良くないのは当たり前として、それをそれをパラダイム変化やコミュニケション力、インフォームド・コンセントにつなげる鳥集氏や中村院長の理屈に無理があるのはわかりますが、一方でこういう「ナントナク、ソンナキガスル」ロジックって一部の人にはうけるんだよ。物事を考えるのに必要な情報や思考力を全ての人が共有できるわけではないし、なのに人間には強力な表象能力があるからね。
    このようなきちんと詰められていない主張は下手に拡散すると様々な所で似たレベルの主張をうみ(例えば週刊朝日では謎の患者原因説なる単語を使う人が出現しているし、他にもはじめにで書いてある医療崩壊派?の主張は4を除いて一定の考察の余地があると思うけど、この本を読んだ人にはネット医師が言っているというだけで(鳥集氏は別にそれらを否定しているわけではないのですが)間違った主張なんだと認識してしまう可能性があります)
    、防げた感情的亀裂が生じる可能性があるのですがそういった事まで想像をめぐらすという事に鳥集氏は無頓着であるように感じます。

    ところで本やインタビューでの鳥集さんを見ていると、どうもいわゆる(新たな)患者と医師の関係にかなりの興味を持っているようです。別にそれは結構ですし、ある面では鋭いことを言っているとも思いますがこのネットの問題と絡めると論理的に苦しくなってしまうようなので、ジャーナリストとして別に表現の場を獲得し、そこでこの事とは別に主張していくべきでしょうね。

  9. 本の出版が良い結果をもたらしているかはともかく、個人的には本と本の出版後のいわゆる「患者側として活動されている人」の反応を見て、あの人たちが何で小松秀樹氏や医者の「訴訟リスク(的な言説)」を執拗にたたくのかが、ボンヤリとですがわかってよかったですね。多少極端に書けば、「今医療が崩壊しているが(訴訟を起こすのは患者なので)訴訟リスクというのはその原因を患者のせいにする理屈である。信頼関係があって説明もちゃんとされていれば訴訟を起きない。また小松秀樹が本で言ってるような事はデマだし、あの男が偏った言説を体系化した」
    多少脚色したけどこんな感じでしょうか。

    もちろんこれは想像による所が多いですが、ただ医師患者双方に偏見というか、頭の中にある特殊な枠組みのような物が出来上がってしまっていて、それにとらわれた考えしかできなくなっているのは確かかなと思いました。お医者さんのことは本に書いてありますし、いわゆる患者側の人もそのせいでこの会のように中途半端な公開質問状を小松秀樹に出して誤読だと反論されたり、鳥集氏も「まっとうな批判の枠を超え…」と他者をなじった数行後に自分も冷静さを失ったのか、上の人が指摘してる様にこれでは団体は代表が代表でない(そもそも団体すら無い)時におこした事の責を負わねばならないということになる論法で全国医師連盟のことを誹謗中傷するのでしょう?
    新たな信頼関係を構築すべきとき…というのは確かにそうだと思いますが、失礼ながら既存の論客の方々にはそれは無理なのではと思ってしまいます。

    個人的には新たな信頼関係を構築する上で重要になってくるのは一元論的でなく多元論的に考えていく事なのだろうと思います。つまり正しい事実や政策は複数あるということを当たり前にして考えて行こうという事です。
    一部の政策を「患者の言動を変えようとする」と(意図は別にしても)さらりと書き一部の政策を「偏見」と言い切る勝村氏は一元的に考えている様に見えます。鳥集氏は色んな意見を受け止めようと主張する一方で小松氏のリスクに関する論説に無意味な批判をしている(P.222)のでよくわかりません。別に小松がこのような意見を想定してないということは無いでしょうし、また現実に対しては小松鳥集双方が正しいのです。「訴訟リスク言説」に対してもそうで鳥集さんは「被害者・遺族にとってどれだけ辛いことか、医療者もマスコミ関係者も、よく考えてみてほしいと思います」とか言っているのですが、根本的なことを言えば医師側はそこにそういった問題があると思ったからそう言ったまでで、それを自分達が責められているかのように勘違いしたり、辛いという感情論で返されても医療側に理解してもらえるとは思えません。あえていうなら論理で論破するならわかりますがそれは無理でしょう。これもある一面での真理を示しているのですから。
    これは想像ですが小松秀樹を執拗に非難している方々って小松やそれに近い人・報道はあの本で書かれている事で全てを説明できると思っている、と考えているのではないかと思うのです。でも小松達はただ問題を提起しただけなのであってすべて患者の責任になっている事とかはありません。

    これからすべきは「一般論的に正しい事を言っていく」ことでしょうね。
    たまに出てくる言葉が「医療崩壊という言葉を著名な先生方や現場の先生が言い過ぎだと思う」とかでは妙な誤解を受けても仕方ないです。「現実問題として医療情報の蓄積公開共有がまだ日本の医療ではまだ行き届いていない」という事を(今まで以上に)言っていけば、少なくともネット医師はそれらを批判しないはずです。

  10. ・枠にとらわれた考えしかできなくなっているというのはどういう事ですか?
    ・勝村さんのはおそらく年頭所感のことを言っていると思うのですが、具体的にどんな問題があると言うのですか?

  11. この本は確かに未完成で、文章も未熟なところが多々見られます。
    しかし、今までほとんどメディアが触れなかったm3.comの闇に
    踏み込んだという点で、高く評価できます。
    医師限定のSNSで交わされる罵詈雑言、名誉毀損な発言、
    根拠のない中傷。
    とあるテレビ番組で、医師を否定的に描いたということで
    m3.com発の、番組スポンサーの商品不買運動が起こりました。
    そのスポンサーの中には清涼飲料メーカーがあり、そのメーカーの
    自動販売機を病院から一斉に撤去しようという呼びかけがなされたそうです。
    その結果、その局では医師はアンタッチャブルな存在になり、
    医師に批判的な番組の企画は成立しなくなったそうです。
    この本をきっかけに、医師についての議論がもう少し進むことを
    望ます。

  12.  yoze様
    質問だと思いますのでお答えします。

    最初の「とらわれた考え…」というのは、この本での例を挙げると、例えば小松の記述を取り上げて「遺族に隠し事があるみたいだ」として批判した所です。なぜならこの箇所を隠し事があるという風には読めないからです。
     しかし「被害者や支援者の多く」はそう読み、しかも伝聞やネット上の話に影響されたのではとまで考えたそうです。
     誤読だったのですからこういう時は鳥集さん達の読みを批判するものなのかもしれませんが、それはできません。なぜならその読みの根拠についての記述が一切ないからです。小松の書き方を批判するのは良いですが、その一方でこの書き方はどうかと思うのですが…本の全体を見回しても隠し事を匂わせる記述はないですし、もしそういう意図なら「これは、患者側にとっても、不幸だったに違いありません」の一文に違和感を感じる(隠しているのならむしろ幸福になります)筈です。そして根本的な事を言えば、仮に「遺族に隠し事」があってもそれだけでは裁判官・ジャーナリストが「ひそひそ話」になることの理由にはならないのです。
     そもそもこの箇所で小松は「割り箸事件を(変な言い方ですが)利用」して「(社会の)空気」を論じているのであって、杉野さん達は「テーマですな無い』と読めます。あえていうなら親の監督責任について小松はあると言っているので、その事に関して問題にされる可能性はあると思いましたが鳥集・杉野両氏はその点に関しては認めているのでそうではないようです。ところが文栄さんはよんで強いショックを受け、図書館に保管されることを想像してゾッとしたそうです。
     しかも本の中ではさらりと書いてありますが、論座のような論壇誌でこの読みに影響された批判までしたそうです。結局誤読だったのですからこれは問題ですよ。
     責任が語られなかった事が原因だとは思わない、という主張には鳥集さんに同感なのですが、新潮社の編集者や小松の友人もしなかったこの読みが、せいぜい読みのひとつの可能性として存在するのならともかく、なぜ一部の人達にここまで支配的になってしまったのかという論点はあるわけです。
     ひとつわかるのは彼らは皆小松本の中で攻めのベクトルが自分達(というよりも遺族)に向けられてると感じている様だという事です。これは興味深いですが続きは次のコメントに書きます。

  13. 二番目の質問ですが、「問題」というと意味が強くなりすぎるのですが…正確には「厳密な意味での対立関係にない二事項を対比し、片方を否定している」ですね。もうどことは言いませんが他者の特定の意見について「意味のわからない」「偏見」とさらりと書いていますがそれが妥当なのかということです。具体的には、ひどい医療事故や医療被害をなくすのは重要でしょうがこう対比的に論じることに意味はあるのかという事です。
     念のために言っておくと医療の中身という言葉が何を指すのかはわかりますし、それらは議論されるべきだとも思います。でも医療の外側の事も必要性があったから議論されたのです。

    しかし無意味な比較は、特に訴訟関連の言説でよく用いられています。
    http://www.minyu-net.com/serial/iryou/0114/iryou9.html
    まず誤解の無い様に言っておくと私はこの方々を批判しようとかそういう意図はありません。また「求めているのは事故の再発防止」というのはそのとうりなのだろうしそうなっていけば良いと思う。でもなぜその後に「医療崩壊の議論と訴訟は切り離してほしい」という言葉が続くのかがわからない。一般的な国語力で考えると両者は比較され後者が否定されているのだと思うけど、そもそもこの2つの概念は対立関係に無いしそして比較もできないと思う。

    鳥集氏も次のインタビューの最後で訴訟言説について触れています
    http://www.conflict-management.jp/journal_cont/20090115J-14.htm
    「訴訟リスクが医療崩壊の一因と言われることが、被害者・遺族にとってどれだけ辛いことか、医療者もマスコミも、よく考えてみてほしいと思います」との事ですが、これは2つの点でマズイです。
     ひとつはこれではただの感情論だという点です。一般論として鳥集さんはこの主張が間違っていると思っているのでしょうが(正しいけど傷つくからやめてでは無茶苦茶ですし)ならば論理でそれを論破するという形であるべきです。勝村氏の文を読んだときにも思ったのですがもし「デマ」がはびこっているというならぜひそれを論破してほしい。

     これは重要な点です。はっきりと言いますが、もしある言説が力を持っていてそれに不満がある場合、その言説の力を削ぐには公の場でそれを論破する以外に方法はありません。
    もっともいわゆる患者側の人にはその力が無いのかもしれません。例を挙げると小松秀樹という人がいます。うまい言い方ではないですが明らかに彼の言説は患者側の人に嫌われているようです。それはなんとなくわかります(笑)それなら氏が本などで繰り出した主要な概念を批判すればよいのです。なのに論座や本等の公の場でしてきた事ときたら、誤読によるものは論外として、他には書き方とかリスク認識がどうとか主要で無かったり浅い読みによるものばかり。ネットに…という書き込みがあるからヒソヒソ話なのはマスコミ等よりも書き込みをしたほうだと言い出した時は失礼ながらふき出しそうになりました。

     もうひとつはこれでは相手(特に医師)に対して説得力のある言葉ではないという事です。ただこれは鳥集側が相手の言説をどのように受け止めているのかという問題があります。
     結論を言うと、いわゆる患者の側の人達は医療側の訴訟言説を聞いて(訴訟をおこすのは患者ですから)自分たちを責めているとか、医療崩壊を自分たちのせいにしようとしているとか考えているのではないかという事です。そうでないとなぜ傷つくのかがわからないからです。ネットにはその手の言説があるのかもしれませんが、一般的な意味での訴訟言説はそういう意味ではないでしょう。医療側は「客観的に見て現実社会にはそういう現象がある」と思ったから「訴訟リスク」「立ち去り型サボタージュ」と言っているのであってそれ以上でも以下でもありません。それに対しての反論は「そういう現象は実際には無い」型以外ありません。相手は客観の話をしているのに「傷つく」という主観でやり返しても相手は困惑するだけで考えを変えてくれる事はありません。いうなれば「タバコを吸ったら肺ガンになる」と言う人に対してJTの人が「私達が悪いというのか!」と怒る様な物です。

     多分この手の言説に抵抗する人がいるのはこっちだって好きで訴訟しているわけではない、他に方法が無かったといった言い分がある、つまり違和感を感じているのだと思う。でも両者は対立しあう意見ではないし、だから今患者側に求められるのは一般論的に正しいことを言っていくことです。そういう意味ではこの会の宮脇正和さんは先日の朝生で一般論的に「まだ埋もれてる医療被害があるのだ」とか問題提起をされていて良かったと思います。

  14. 最後の質問ですが、評価といわれても正直困るものがあります。一応本の中身そのものとこの本と社会の関係に分けて書きます。

     前者については、本を出版することが悪いとは少しも思いませんが、鳥集さんの文章に説得力がみなぎってない事はやはり不味いです。
     
     本の中で全国医師連盟のことを批判するのはいいと思う。でも「それは黒川衛であって全国医師連盟では無いじゃん」で反論ができる論ではやはり駄目なのです。それでもこれらが成り立つというのなら、それはただの感情論です。
     本の中で原因が「コミニュケーション不全症候群」であると主張するのはいいと思う。でもその論証のプロセスが、それこそ発言内容(の論理性)が不全状態になっている中村院長を使ったり他にはただの「僕が最近考えてる事が書いてあるだけでその論理展開はわかるように見えて実は全くわからない、というかそもそもこれは「論」になっていない。
     別に個人の日記やそれこそネットブログならこれでもいいと思う。でもそれらと公の場で書籍の形で、お金を取って発表するのとはやはり違うのです。受け手の側はそれなりのモノを求めるようになる。この本がネット医師にこんな本の感想なんぞ書く価値ねーぞ!といわれたり、amazonで非医師と思われる人達からも評価が低いのは、もちろんネットの掲示板を切り張りして批判していく内容が低俗に感じたとか(ただこれは鳥集氏はこういう手法を取らざるを得なかっただけで責められるべきは無いです)いった単純な理由もあるのだろうけど最大の理由はその文章が「説得力のある言葉」でないからなのだろうと思います。医師と患者をつなぐのが言葉であるように、書き手と読み手をつなぐのも言葉だけなのです。

     誤解の無いように言っておくと鳥集氏は別に悪意があったわけではないと思います。むしろ経験とかの問題なのだろうと思います。多分鳥集さんは取材したり、それをもとに何かを書く能力は高いのだろうと思います。ただこれまで自分の意見を言うために論理を組み立てたり、誰かを批判したりといった経験が無いかあまり得意ではないだけだろうと思います。
     ただそれと本が出版されることは別問題で、出すなら別の何人かの書き手で本を構成した方が良かったかもしれません。

  15. 話が終わるので後者について書くと、個人的には一読した時に、最後に友人だと言っていても他は全編ネット医師を批判したい、便乗して全医連とそもそもネットやってないらしいけど大嫌いな小松秀樹を叩きたい、という凄まじい情緒が手に取るように見えてしまう(仮にその意図が無くても相手にはそう見えてしまう)文章でこれはマズイと思いました。最初に「互いに偏見があってそれを取り払わねば…」といい事が書いてあったので、たとえば一般的な遺族には情報発信能力は無いからかわりに彼らの事を書くとか建設的な内容かと思ったら、取材をもとにデマを否定したところはまぁいいとして、それ以外は中途半端な批判とどうでもいい自分の意見が書いてあるだけです。はやい話敵意を抱かれているという事なのにそれを打ち破るどころかこれでは逆効果です。
     問題提起をするのなら最初に話の枠組みをどうこうちくするかというのは重要です。無断引用について法的問題があるのかということが話題にされてますがそれは実は重要でない問題です。法的是非が問題にされていることが問題なのです。上のインタビューでまずは書き込んだ医師の方を批判しろと言っていますが(気持ちはわかりますが)もう聞いてもらえないし、何を言ってもネットでは逆に無断引用や全医連の記述をネタにされるだけになりますよ。

     そもそも明らかにネット医師が読むことを前提にして書かれているという事に驚きました。本やその中の文章は読まれなければただのインクの染みですから読まれなければなりません。しかし彼らがちゃんと購入して腰をすえて読んでくれるのかという問題があります。
     でも彼らは出版については知っているだけマシかもしれません。鳥集氏は同じ医師にこの本を読むことを期待したり、デマがいわゆるネット医師以外の人に信じられることを問題視しています。これは正論でそうだと私も思います。でもそれらの為にはネット医師以外の人達がこの本を読まなければなりません。しかしそういう人は出版自体を知らない人が殆どだろうし、知ったとしても買うのかというハードルがあります。キツイ言い方になりますが、鳥集徹というネームに宣伝/販売能力は無いと思う。「ぜひ、多くの方々に手にとっていただきたいと思っています」と言うのは簡単ですが実際に人間に1500円財布から出させるのは結構大変なことですよ。
     こういった世間への情報伝達の問題を普通は考えると思うのですが、鳥集さんと企画した勝村さんに考慮した跡が見えないので不思議です。実際にネットでもこの本はすでに話題にならなくなっており、これでは相手陣営への打撃にもなってないし、一方で書内で否定したデマが今後もネットで言われる可能性はあります。

  16. これらは本という媒体で事を起こすのが正しいのかという問題が裏にはあると思います。その例の一つに「このやり方だと論点が拡散してしまう」という問題があります。要に中傷行為が問題なのであってそこに光が当たらなければならないのに、発売後に話題になったことといえばCBニュース削除騒動とか無断引用がどうとか、取材を心身不調で断った人は実名のブログ本を出していて匿名ではないとか、真偽は別にしてどうでもいいことばかり。
     また本の一部を切り張りしてネットに意図的なデマを流される可能性もあります。ネット医師だけを批判しているつもりでも、うまく切り張りすれば書いた側が凄まじいネットフォビアのように見せることだってできますし、その家庭で今以上に被害者が叩かれる事も考えられます。

     このように評価するにもあまりにも非合理的な話、「どう理屈を組み立てていけばそういう見通しになるの?」が多すぎて何とも言えません。上のインタビューで「議論をするなら本や雑誌」と言っていて、このコメント欄にも議論がどうと言っている人(そもそも言ってる事が怪しげな伝聞情報ですが)がいますが、「議論」出来るほどのスペースを出す「本・雑誌」があるの?としか思いません。

     そもそも仮に「議論」したとして、それで何になるの?現状が改善されるの?と思います。一般的に考えて鳥集さんたちは現状を改善したいと思っているから行動しているのだと思いますが、活字媒体で議論したり、本で期待されているように同じ医師から批判する声があがった所で状況が少しでもよくなるとは私は全く思いません。理由は単純で、それらは実行された所で相手に対して影響のある戦略では無いからです。これは重要な点でネット(医師)の相手をするとしてなぜ出てくる戦略がシンポ開催・本出版なのかが不思議です。それらは相手に影響のある媒体では無いからです。

     今とるべき戦略は明白です。自分たちの情報発信能力を強化するのです。そして仮にネットで自分たちへの誤解やデマがあると言うのなら、その誤解に満ちた言葉やデマがネットで行き場を無くす位ネット上で意見を言っていけばよいのです。これは重要な点で、私が以前のコメントで「たまに出てくる言葉が医療崩壊を先生方が言い過ぎだでは妙な誤解を受ける」と指摘したのはそういう思いが背景にあります。CBニュースの記者もそういう事を言いたかったのだと思います。

     鳥集さんは人をつなぐのは言葉だと言ってますがこれは正論で、それがわかっているなら君達の「つなぐ言葉」の量を増やし名よと言うことです。
     なのに出てくる戦略が新聞に記事を書いてもらったりこんな本の出版だったり、すれ違いが増える事ばかりで対峙し合う枠組みを強化しただけの気がします。

     ところで鳥集氏と栗岡幹英氏はこの本以外に新聞や論座の様な論壇誌で、小松や黒川衛といった公の場で実名で発言している人達ならはまぁいいとして、「ネット上の特定の意見」や「一部の医師」といった曖昧な存在を「ネット医師」「医療崩壊派」と言った名前をつけ、批判したり、今千あるとされる医者のやっているブログの中から数十を問題視して「医師ブログの記述」に公の媒体で反論したりしているけどこの行為は妥当なのかと言う問題があります。彼らが相手の利益になる事をする筈が無いので、これはおそらく光を当てれば彼らは否定的な目で見られるだろうし、批判もされるはずだと思っているのだと思います。まぁ一般論として批判する人も増えるでしょうが、一方で世間の注目が集まると肯定的に感じる人やヤジウマが増える気がします。m3はともかくブログや2chは誰でも見れるし、そこにはこれから何とでも書けるからです。そして彼らは批判された所で痛くも痒くも無いのです。鳥集さんは騒々しい少数派がどう、と言ってますが、これまでの戦法だとネットの一部勢力にすぎない彼らが注目を浴びて逆に力を得る結果になる可能性があると思うのですがどうでしょう。

     だから今するべきはこれまでとったような対立が深まるだけのアクションをやめて言葉の量を特にネット上で増やすことです。それはシンポ開催とかと比べたらはるかに小さい労力で済む事なのに、最近した事といえばこの問題との関連は無い要望書にわざわざネットの記述を入れたりだとか少しみっともないです。ところで陣痛促進剤による被害を考える会にとってはこの本の中村院長のくだりは大問題だと思いますよ。自分たちに興味のある人が公式サイトを見ても自分たちが促進剤に対してどういうスタンスでいるのかするわからないという事を意味するのですから。(実際に見てみても簡単な概略みたいなのが書いてあるだけで、正直わかりずらいです)

     そもそも相手が「ごく一部/実はそんなに多くない/おなじみの顔ぶれ」と言うのですけど、ならばミクロ的に対策をとってほしいです。鳥集さんが書くにあたってそこまで考えていたかはわかりませんがノイジー・マイノリティーという言葉はそっくりそのまま自分達にも当てはまるのであって、今医療は議論されねばならない問題が他にも山積しているのに、ネット上の医療崩壊派がどうとか論壇誌でされても迷惑です。これは一患者としての意見です。もちろんこの事を問題視する気持ちはわかります。でも上に書いた様にこれらは効果が無い行動なのですから。
     また互いの偏見を取り払い、向き合って話せる環境を作る…といわれても端的にいえば小松の記述ひとつに隠し事がある…と捉えるような状態の人達にそれが出来るの?とも思ってしまいます。

  17. yoze様

    一般です。二番目の勝村さんの質問を送信したつもりがうまくできていなかったようです。これでは最後の質問の文章で何を言いたいのかわからなくなる箇所がありますね。出先の漫画喫茶からだったので慌ててちゃんと確認してませんでした。ごめんなさいね。

    結論から言うと別に「問題」があるとまでは思ってはいません。ただ「厳密な意味での対立関係にないものを対比して片方を否定している」のをどうかなと思っただけです。
     他者の特定の意見を対比して「意味のわからない」「偏見」と言うわけですがそれらは対立関係にある概念なのか、そもそも対比された意見は間違っている意見なのかということです。誤解してほしくないのはこの年頭所感はおかしいとか言いたいわけではありません。医療の内側という言葉が何を指しているのかはわかっているつもりですし、それらは議論されるべきだと思います。医療事故や医療被害をなくすことも大切でしょう。でも「医療の外側」だって必要性があったから議論されたのです。(そういう意味で他者の言説の認識の仕方に難があるのではとは思いましたが)

  18. (以下の内容は最後の質問の前に入れる予定だった内容です)
    鳥集氏はウィンウィンジャーナルという所でこの本に関するインタビューを受けていて、そこで訴訟リスクと医療崩壊を結びつける言説は被害にあった患者側を傷つけるからやめてくれといった趣旨の事を言っています。ですがこれは2つの点でマズイです。
     一つ目はこれでは感情論で、相手(特に医師)の心に響く言葉ではないからです。鳥集さんはこれを間違った言説だと思っているのでしょうが(正しいけど傷つけるから言うな、では無茶苦茶ですし)ならば論理でこれを論破すると言う形であるべきです。

    はっきりと言いますが、仮にある言説が力を持っていてそれに不満がある場合、その言説を減退させるには公の場でそれを論理的に論破する以外の方法はありません。これは重要な点です。勝村氏の年頭所感を読んだ時にも思いましたがもし「デマ」がはびこっていると言うのなら、ぜひそれを論破してほしい。これは一患者としての要望です。

    ただ、失礼ながらいわゆる患者側の人たちにはその力はないのかなと思っています。
     たとえば小松秀樹という人がいます。はっきりと言って彼の言説は一部の患者側の人たちに嫌われているようです。それは何となくわかります(笑)ならば、氏が本等で展開した主要な言説を論破すれば終わる話です。なのにいままで本屋論座のような論壇誌でした事といえば、誤読によるものは論外として、書き方がどうとかリスク認識はどうとか、主要でなかったり浅い読みによるものばかり。ネットに…という書き込みがあったからヒソヒソ話で批判されるべきはマスコミ等で無く書き込みをした方だとか言い出した時には、正直失笑しそうになりました。

     二つ目は相手の言説の認識の仕方の問題です。結論を言うと鳥集さんは、というよりいわゆる患者側の人たちは、この手の言説を「(訴訟を起こすのは患者なので)患者側を責めている言説である、そして医療崩壊を患者のせいにしている、と受けとめているのではないかと思うのです。(ここで最初のコメントとつながります)私は一患者としてなぜこの言説で傷つく人がいるのか正直わからないのですが、そう考えれば合点がいくからです。もしかしたらネット中を探せばそういう毛色の意見があるのかもしれません。でも公の場で言われるこのような主張は絶対にそのような意味で言われるのではないでしょう。そう言っている人は「そこ(世間)にそういう現象が/事実があると感じた」から「訴訟リスク」とか言っているのであって、それ以上でも以下でもありません。つまり客観の話をしているのですから、この手の言説に反論するのなら「そういう現象はこの世にない」型以外ありません。なのに傷つく云々というのは完全に主観の話なのであって相手の考えを変えることはできません。言うなれば「たばこを吸うと肺がんで苦しむよ」という人に対してJTの人が「私達が悪いというのか!」と怒る様なものです。

     ですから今求められるのは相手の意見を潰す言えないようにすることではなくて自分たちの意見の発信量を増やす事です。というか相手は自分達は正しいと思って意見を言うのですから潰そうと思っても(論理で論破する以外)潰す事は無理です。またこの本を読んでくれたとしてもネット医師が変わるとはどうしても思えませんし、自分たちへの偏見(誤解)があると思うのならそうするしかありません。

  19. あれ、おかしいなぁ今見たら2番目がちゃんと投稿されている。一時的に消されてたのかな?二重投稿になってしまった・・

  20. >それから裁判における事実認定も、いずれも本意をが置き去りになっています。まず結論ありきなんですね
    後のtoドーモ君さんも言ってるけど、それが不満なら一つ一つ指摘していけばよいのです。
    下記の医師ブログとかが参考になるかも
    「ネットで暴走する医師たち」にみる矛盾 – 不都合な真実を隠蔽しているのはどちらであろうか
    http://bassisha.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-8164.html

  21. 一般さん

    2重投稿になったのはあなたのせいでなく管理者が一度消していたからでしょう。
    ただあなたの投稿は特に問題があるとは思えないので、なぜ消されたのかはわかりませんが。

  22. 一般さん
    >つまり正しい事実や政策は複数あるということを当たり前にして考えて行こうという事です
    何を言いたいのかはわかるのですが、そうはならないだろうと思います。医療は誰でも関わりのあることですが、実際に日本の医療に関する言論はごく少数の人が作り実態に影響を与えてるわけで、それらがそういう能ではないので。

    この本については医師側と患者側双方に偏った見方があることを図らずも明らかにしていると言う点で価値はあると思う。
    確かに特定の団体に対して「リンク集が本質だ」と言っても説得力を普通は得ない。が、似た思いの人は結構いるそうだ。「一部のブログと特定の団体を同一視する自分はおかしいのでは」とか「具体的な活動を見るまでは評価を待とう」とか思わなかったわけだ。この様にネットの問題を批判するという文脈を越えて一部の鬱憤をそのまま具現化してしまった事に問題はある。
    また「医療崩壊派」というのは書で批判したレッテル貼りだと(相手には)思われると思うのだけどその可能性を想定しないから書いたわけだ。こういう意見も大事にしようとあるけど宝島という雑誌には「患者のせいで医療崩壊したと言うのが彼らの主張」と相反することを氏は書いている。

    いわゆる「訴訟リスク論」はそれが出てきた背景を思い、現実やその客体にも目を留めながらなるべく最善の道を探るしかないだろう。また実際に影響力を持っている人はそういった言葉が求められる。なのに「一員と言われることがどれだけ辛い事か想像してみ」と言われても「誰かを傷つけようと思って言ってるのではないのに何でそういうこと言われるんだ」と思われる可能性を想像してない。そもそもこれは論点としては成立しているので「傷つけるからダメ」という理屈にはならない。ように「議論」に向かない人が力を持ってるのだ。日本最大の医療過誤被害者団体の会長が近年の医療側の動きに対して「患者側の権利が強まることに不満を持っていた一部の医師からの反撃」「医者は医療被害者が医療崩壊を招いた(と言ってる)」と言ってしまうのだから(立場上言ってはいけない言葉と言うのもあるでしょうに)。

    これらは自分たちの立場と経験からしか自分とは違う立場の人のいったことを解釈できないと言う前提のもとで、他の人のいったことを「責任」と言う物差しで判断するからと個人的には思ってます。訴訟リスクと言うことがなぜ患者のせいにしているとなるのかがよくわからないのですが、原因はそこにあるのでしょう。また、医師の言ってる事も実は4年ぐらい前からほぼ進歩していない。ある程度社会環境に沿って主張を変化させる必要はあるのに、ただ自分たちの立場から自分のしたいことを叫んでるだけ。

    無論誰もが自分の言いたいことを言えばいいし、それらの評価は世間に任せればいいと思ってる。でもそれには前提として他者(特に自分と意見のあわない人)への基本的な尊敬やその意見の尊重及び客観性のある解釈と論理的な反論が必要なのですが、力ある人たちにそれは無い(無論ネット医師と呼ばれる人もそう)。ならばそういった人達は他人のことを気にせずに、自分たちの意見を強く発信していくことのみに専念すればいいと思うんですけどね・・・・・・

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